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幼稚園の
学びとは

​施設

遊びのなかには、幼児の成長や発達にとても大切な体験がたくさんつまっています。

CONTENTS & CLASS.

「幼稚園ってどんなところ?」「幼稚園の教育って?」「いつも遊んでいるだけのようだけど・・」こんな声を聞いたことがあります。確かに、「子どもと一緒に遊んでいるだけ」では教育にはなりません。けれど、この遊びの中にこそ、大切な学びがあるのです。
 基本的に幼稚園は、環境を通して教育を行うところです。環境とは、幼稚園の物的環境もあれば、園庭、遊具、草花、砂場や教室、教室に置いてある素材等々・・。それに、友だち・先生など人的環境もあります。このような環境に自分から興味をもって関わりながら、活動や遊びを通して充実感や満足感を味わうという体験が学びへとつながっていきます。

環境を通して行う教育

主体は子ども

心情・意欲・態度

 つまり、心身の発達が著しい幼児期では、環境からの影響はとても大きく、この時期にその環境にどう関わったかということが、将来への発達や人間としての生き方に重要な意味をもつことになるのです。
 だから、幼稚園では幼児の発達や実情を把握した上で、計画的に環境を作り出し、子どもたちが、「何だろう?」「おもしろそう」「やってみたい」というように自分から主体的に関わって、充分に自分を発揮しながら「出来た!」「やった!」「そうだったのか!」というような満足感や充足感を味わいながら望ましい方向に向かって発達を促すようにすること、つまり「環境を通して行う教育」を基本としています。

自己の可能性を開く

例えば、あるクラスで木工の素材とかなづちという環境を準備したとしましょう。でも、それが置いてあるだけでは、初めてみる子どもは興味も持たないかもしれません。釘を上手く打っている友だちがいたり、教師が打ってみるという働きかけがあれば、興味が湧いてきた子どもは、誘われてかなづちを手にするようになります。はじめは上手くいきません。でも、いろいろ試行錯誤を繰り返すうちに、どうすれば釘を上手く打てるのかを友だちや教師から真似たり考えたりしながら、気付き身に付けていきます。このように環境との関わりを通して、自らの手で用具の使い方を獲得し、自らの世界を広げていくことの充実感を味わっていくのです。

 ただ遊んでいるわけではありません。幼稚園教育とは、専門的知識をもって、子どもの潜在的な可能性に働きかけ、その人格を図る営みであり、教師の支えを得ながら文化を獲得し、自己の可能性を開いていくことを大切にした教育です。

遊びが豊かな学びをもたらす.

 幼稚園での教育は、小学校以降の学習とは違います。小学校では、1年生なら漢字をこれだけ習得するとか、算数はここまで出来るように等々、教師主導の教育になりますが、幼稚園での教育が学びと言われるのは、あくまでも主体は子どもたちであり、子どもたちが自らまわりの環境に働きかけてぶつかったり、悩んだりしながら試行錯誤を繰り返し、自ら発達に必要なものを獲得していくことを大切にしているからです。

遊びが学び

 「遊びが学び」とはどういうことでしょうか。遊びの本質は、人が周囲のものや人(環境)と思うがままに多様な仕方で関わり合うことに夢中になり、時の経つのも忘れ、その関わり合いそのものを楽しむことです。
 ですから、遊びは遊ぶこと自体が目的であり、人の役に立つ何らかの成果を生みだすことが目的ではありません。
 けれど、子どもたちにとっての遊びには、幼児の成長や発達にとってとても大切な体験がたくさん含まれています。
 

 幼稚園での教育は環境を通して、「心情・意欲・態度」を育むと言われます。わかりやすく言えば、「心情」とは、自分の内側から出てくる興味・関心によって、「何?」「えっ?」が起こり、次に「やりたい」「見たい」という気持ち、すなわち自ら行動を起こしたくなる「意欲」が出てきて、「やろう」と自分からはじめること(行動・実行)が「態度」です。

 だから、幼稚園の教師にとって、この「心情・意欲・態度」を育んでいくために、どうような環境をどのタイミングで、どういうふうに構成していくかはとても大切な役割です。もちろん、計画的にかつ現状の問題を把握しながら、何に取り組もうとしているのか、何に行き詰まっているのかをとらえながら、子どもたちがこうように成長してほしいという願いをもって、活動が生まれやすく展開しやすいように意図をもって環境構成をしていくわけです。

生きる力

多様な仕方で関わり合うということは、例えば、木の葉は遊びの中では、器になったり、お金になったり、切符になったりします。また、砂にしても、水を含ませてダンゴになったり、乾かしてサラサラになったり、いろんな遊び方が出てきます。子どもたちは思考を巡らせ、想像力を発揮しながら自分の体を使って、また友だちと共有しながら、協力しながら遊び込んでいきます。その過程のなかで、達成感、充実感、満足感、挫折感、葛藤などを味わい、精神的にも成長していくのです。子どもが無心に遊んでいるかに見える活動のなかに、たくましく生きる力の原動力となる「生きる力」が育っています。

森ミスト

 年長児数人が、砂場で大きな砂山を作り始めました。山が完成すると、今度はトンネルを掘りはじめます。ところが、穴を掘りはじめると、すぐに砂が崩れてしまいました。あれこれ試行錯誤しているうちに、水で湿らせて固くしてから掘ると、穴が崩れないことに気づき、ついにトンネルが開通しました。そのうち、また数人が集まってきて、トンネルに水を流しはじめました。さらに数人が加わり、川を作りはじめ、ついに樋を持ってきてじょうろを使って水を流し、その水が砂場の端っこのダンプカーに流れ込み、それから砂場の川を流れていくというダイナミックな砂遊びに発展しました。やがて役割が決まり、それぞれが分担してある一定のルールのもと、協同作業になりました。

 どこの幼稚園でも見かける一場面です。でも、この中にどれだけの学びが詰まっているでしょうか。砂に水を含ませて固くすることも、自分たちで試行錯誤した発見でした。また、水が高いところから低いところに流れることも大切な発見です。樋をどうつなげば水がもれないかということも学びであり、人間関係にしても、友だちと相談交渉しながら役割を決め、リーダーが現れ、一つの目的に向かって、ケンカあり、笑いあり、試行錯誤しながら生きる基礎を学んだのです。
 
 積木遊びにしてもそうです。遊びながら、三角や四角を知り、大きい、小さい、重い、軽い木をどう積めば、より高く積めるのかを学んでいます。木の感触、香り、友だちとのやりとりも含めて学びがいっぱい詰まっています。それを物理的に学習するのは小学校以降であり、専門的には大学となるのですが、そこで本当に納得できる為に、まず実体験をたくさん積んでおくことが大切なのです。

 遊びのなかの学びには、あるパターンがあります。心が動く→やってみる→わかる→繰り返す→納得して次へと生かしていく。それは、まさに「心情・意欲・態度」です。自分で主体的に考え、行動するということは、させられている時とは比べものにならないほど、豊かな学びをもたらします。それは、将来、いろんなことにチャレンジし、踏みつけられても立ち上がっていくタンポポのような生きる力の源となり、人として幸せに生きていくための財産となるのです。